認知症が進んだ祖母の在宅介護と施設介護で私が感じたことについて

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現在95歳の祖母についての話です。現在は特別養護老人ホームに入居しています。
今から15年ほど前に認知症の症状があらわれました。最初は単なる物忘れ、ど忘れかと思いましたが、次第に言っていることが本当におかしくなりました。例えば近所のスーパーに行って家に帰ってこれなくなり、たまたま警察の人が保護をして家まで送ってくれたときには「キツネやタヌキに誘われて深い森に入った」、そしてガスコンロの火を消し忘れたまま外出したときは「泥棒が火をつけた」と言っていました。また自分の財布を自分で隠し、しばらくしてから自分で見つけることができなくなると私達に向かって盗んだと言い始めました。急激に認知症が進んだのではなく徐々に進んでいったわけですけれども、10年ほどかけて進行し、また、その間に足腰も段々と弱っていきました。今から8年前はまだ在宅介護をしていましたけれど、自分の力でトイレに行くことはできませんしお風呂も無理でした。ご飯を食べさせたりするのは当然ですが車イスとベッドの移乗、汚染された下着等の洗浄作業、病院への付き添いなどは両親や弟と一緒に勉強しながら4人体制(両親・私・弟)で24時間介護です。
介護保険法は1998年に出来、法の施行は2000年だったと思います。思えばその頃から介護申請等の準備をしていれば良かったですし、当時学生だった私でさへも親にどうして申請しないのかと問うたこともあります。ですが親族から「介護保険も老人ホームも姥捨て山」と言われたそうです。我が家の祖母に介護保険を利用させたくない人達がいて、両親も周囲の目が気になるのか、なかなか介護保険の申請をすることができなかったようです。
話を元に戻しますが今から8年前、家で暮らしていた祖母が尿路感染症・膀胱炎で高熱を出し、入院することになりました。1ヶ月間ほど入院していましたがそのまま家に帰宅することは無理な状況だったので、次にリハビリ病院に転院し、この時になってようやく両親が親族の同意を得て介護保険を申請し、また特養などへ面接に行って入居の申し込み(予約)をしました。尚、認知症も入り、自力でご飯を食べることは出来ませんしベッドの上で自力で体位を変えることもできないということで要介護状態区分は5でした。その後リハビリ病院で体力を回復させ、6ヶ月ほど入院しました。その後は幾つかの老健を6ヶ月?1年ごとにたらい回しにされ、そして今入居している特養に入ることになりました。今から4?5年前の話です。この時点では幾分体力が戻っていたので要介護状態区分は5から4になっていました。
現在は施設介護なので家族としては特にすることはありません。たまにケアマネージャーさんと面接があるくらいで、それ以外は納涼祭やクリスマスイベント等に参加するくらいです。費用は確か月15万円ほどで、それ以外に小口現金(病院代や散髪代等)が1万円か2万円、合わせて17万円ほどを祖母の施設介護に要していると思います。在宅介護をしているときは私はまだ学生の身分で祖母の介護費に幾らかかっているか知らなかったので詳しいことは分かりませんが、週に1回病院に行く以外はあまりかからなかたっと聞きました。これは介護保険を一切利用していなかったからだと思います。
私は学生時代から介護をしてきました。周囲からは大変だねぇ、偉いねぇと言われましたが、自身としては本当に理不尽だと思ったものです。遊ぶ時間もアルバイトをする時間も無く、社会人になってからでも出勤前や帰宅後に祖母の介護で、祖母を中心とした生活に不満が爆発しそうになりました。この国には身内の介護(親や祖父母の介護)をしない50代や60代が大勢いるのに、どうして自分はこの年齢で祖母の介護をしなければならないのだろうと何度も何度も自問自答しました。本当に苦しかったです。ちなみにストレス発散方法は深夜に家族みんな(母を除く)でお酒を少しだけ飲むことでした。僅かな時間でも息抜きしないとやってられませんでしたので。
でも今は介護をして良かったと思えるようになっています。もちろん苦しいことだらけでしたけれども、ケアマネさんや介護福祉士さん、介護レンタル業のスタッフさんなど色んな人達と出会うことができましたし、彼らに色んな相談に乗ってもらうことが出来て勇気づけられ、励まされて今があります。在宅介護は壮絶でしたが貴重な経験をしたことは自分がこれから生きる上で必ず役に立つと思いました。今後初めて介護をされる方にアドバイスをすることがあるとすれば、よくテレビ等で介護の専門家が言っているように決して一人で悩まないこと、辛いときは誰かに相談することが重要だと思います。介護をする側が病気になってしまっては意味がないので、健康には十分気を付けて頂きたいと思います。